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春季・秋季彼岸法要(お彼岸の謂れと心構え)

 

佛教の行事の大部分は、インド・中国から伝わってきたものですが、春と秋の彼岸会だけは、我が国独特の朝廷の佛教行事として一千余年前に始まり、江戸時代には宗派を超えて民衆の間に広まって現代に伝えられてきたものです。 国民の祝日の中で、佛教的な風習から残された祝日が二つあります。春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」であり、秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」です。春の彼岸の頃は、厳しかった寒さも緩み、各地からの芽吹きの便りに新緑と花のあふれる季節の到来を感じ、春の日ざしは朗らかな希望を与えてくれます。秋の彼岸の頃は、夏の盛りを過ぎて紅葉と実りの秋の訪れを思い、落ち着いた心境に誘われます。農耕を主とした我が国で農繁期を避け、一年のうちのこの季節に、特に定めて佛事を修する「お彼岸」という言葉には、日本人の持つ季節感から育まれた「温かさ」と、私たちの祖先の深い知恵と思いやりがあるような気がします。 日蓮聖人は、『彼岸抄』という御遺文の中で述べられています。

「それ彼岸とは春秋の時節の七日、信男信女ありて、もし彼の衆善を修して小行をつとむれば、生死の此岸より苦界の蒼波をしのぎ、菩提の彼岸に至る時節なり。故にこの七日を彼岸となづく。この七日のうちに一善の小行を修せば、必ず佛果菩提を得べし。余の時節に日月を運び功労を尽くすよりは、彼岸一日の小善は、よく大菩提に至るなり。誰人かこの時節を知りて小善を修せざらん。」

この言葉が元となり、お彼岸が一週間になりました。

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